「アナと雪の女王」(2014年) [映画]
そういえば「ラプンツェル」と「メリダ」をまだ観ていなかった。
本作といえば「FROZEN」のタイトルにもあるようにその雪の表現が注目されているが、雪や氷の質感は勿論の事、個人的には雪の物理シミュレーションの表現にも期待していた。
表現したい物語と技術が一致しているディズニーアニメ作品は3DCGアニメにおけるお手本とも言えるものだが本作は正しくその通りだった。技術だけが先行するものではない、表現したい物語が先にあり確かな技術力がそれを肉付けし、臨場感、没入感、そして世界観を構築させる。ノコギリと斧によって切り分けられる氷のブロックの質感は絵空事である物語に説得力を付与し、その行き過ぎたまでの生々しさはそれ故に私達の現実との繋がりを感じさせてくれる。
氷だけでなくキャラクターの肌の質感も相当なもので、特に中盤のアナが太陽に手をかざす場面からも分かるように肌の表面の質感、要は見た目だけでなく肌が本来多層構造をしている事が分かるような「透明感」を感じさせるような質感になっているのは見事である。3DCGの肌の表現もついにここまで接写に耐えられるものになったかと嬉しくなったが、おそらくこれに関しては制作側も悩みの種ではあったと思う。ディズニーに限らず3DCGアニメのキャラクターデザインは年を経る毎に「目」が大きくなっており、顔に対する目の大きさの比率は日本のアニメ作品と殆ど同じになってしまった。3DCGの場合「不気味の谷」に代表されるように立体的であるが故に実際の人間と比較されてしまうものだが、年々3DCG技術に磨きがかかっているディズニー作品では「デフォルメされた顔のバランスでありながら極めてフォトリアルな質感」という非常に危ない領域に入っている。
本作を観始めた時そのあまりの肌の生々しさに上記の事から発生する違和感、気持ち悪さが出てしまわないかと心配したのだが、本作においては問題は無かったように思える。この問題に関しては今後ドリームワークスも何れ同じ道を辿るのだろうが、その表現力の高さ故に「お人形」から脱してしまった昨今の3DCGアニメ作品。この先どのようなキャラクターデザインにしていくのかというのは非常に気になるところである。
しかし、実のところ作品としてのクオリティにはあまり期待していなかった本作。観終わった後もそれは変わらず、個人的にはエルサの「Let It Go」で盛り上がりを迎えその後はそれなりという感じだった。一国の危機を舞台にしながらも物語の舞台の範囲が異様に狭いのでスケール感がまるで無く、問題が起こってから解決するまで殆ど日が経っていないのもそれに拍車をかけている。姉妹喧嘩、痴話喧嘩と言えば聞こえが良いがビジュアルが素晴らしいだけにこのこじんまり感は残念である。
とは言ったもののそんなものは些細なものである。正直心底どうでも良い。
以下ネタバレあり。
本作の劇場公開アナウンス時に上記のビジュアルが発表された時、同じ様な感覚を抱いた人はまあ確実にいたのだろうがまさかその通りになってしまうとは。ディズニー初のダブルヒロインであり家族愛を主軸にした本作。しかし、これはどう見ても、どう見ても―――。
上記のビジュアルを見たときは本当に驚いた。いや、そうでないことは百も承知であるが、色んな意味で「いいのか?」と。こちらとしては無論大歓迎なのだが、仮にほんの少しでもそういったニュアンスを制作側が含めているとしたら大したものである。まあ、公開前からそんな調子だったので私には最早それ以外考えられない状態だったのだが。で、公開前に検索してみると案の定同じ事を考えているどうしようもない連中がちらほらと。そんな事だから序盤のエルサの戴冠式までの流れはもう本当に感無量というか何というか。特に戴冠式のパーティでの二人が玉座に並ぶシーンでのやりとりは悶絶モノである(オイ)。
そして極めつけはとってつけたようなラストでのキスシーンである。アナとエルサが物語の主軸になる以上クリストフが脇に追いやられてしまうのは仕方が無いが、それでもあの扱いには笑ってしまった。あのキスシーンは「ディズニーアニメ」を観に来た人へのポーズとしての配慮だとこちらは理解しているので別にそれ自体は全く以って問題ではない(マテ)。
さて、二回目を観に行かねば。
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