趣味の継続、興味の持続 [アニメ]
『アイカツフレンズ!』が放送を開始してから4ヶ月が経過しようとしてる。以前の記事にも書いた様に監督である五十嵐達也の作品全体を纏め上げる手腕には若干の不安がありつつもその行く末にはそれなりの好意的な展望を抱いていたものだった。実際第1話に関しては脚本演出共に堅実で順調な滑り出しとなっていたしその後もあの『ア〇カ〇ス〇ーズ!』と比べたら見違えるような進歩を遂げていた。しかしここ数話、そして作品全体を振り返ってみるとまだ払拭し切れていないというか、はっきり言ってしまうと蝕まれているレベルでの根深い問題が残っている事に否応なく気付かされてしまう。
アイカツシリーズは第1期、第2期、第102話から第178話までの『あかりGeneration』。そして一新した『ア〇カ〇ス〇ーズ!』全100話と5年以上続いており、作画の方向性やそれに伴い演出が年々変化している。『アイカツフレンズ!』は『あかりGeneration』の頃の作画に似ており作画監督も当時のアニメーターが参加している。そのため演出やキャラクターのアニメーションの方法も『あかりGeneration』の頃のニュアンスがかなり残っている。問題はこれだ。
『あかりGeneration』は2クール目くらいまでは良かった。新しいキャラクターが登場し、新曲が披露されライブステージはさらに磨きがかかり新たに紡がれる物語は新鮮だった。しかし作画の方向性が変化した弊害からか絵柄自体は洗練されクオリティは上がったもののキャラクターの表情のアニメーションは単純化され、それまでのアイカツシリーズでは出来ていた感情の機微が殆ど失われる様な状態となってしまった。
記号的な表情が増え判を押した様に同じ表情が常に並び抑揚がまるで無く人形が動いているかのような不気味さが生まれていたのである。誰もが同じ様な表情しかせず微細な感情の変化が無くなってしまった事によりそのキャラクターが何を考えているのかが全く表現出来ないので、内面が描写されないままキャラクター達が悩み努力し成長するという異様な状態に陥ってしまった。主人公である大空あかりについては『あかりGeneration』以前から本編に登場していた事もあり視聴者の感情の手がかりになるレベルには描写されていたが、他のキャラクターについては絶望的なレベルで描写が不足しており何を考えているか全く分からなかった。
こういう心理状態なのだろうという推測は出来ても明確にそういった描写が無いので当時は本当に困ったし何より居心地が悪かった。五十嵐達也が演出を担当した回等は良かったが基本的には正直かなり厳しいものが殆どだった。なので第102話以降の『あかりGeneration』に関しては内面が明確に描写された天羽まどか以外のアイドルは好きになれなかった。
今だから言うが当時は『あかりGeneration』を観続けるのが本当に苦痛だった。視聴中にキレた事が何度もあった。あまりにイライラし過ぎてテレビのリモコンを何度も床に叩き付けそうになったが、絶対に「つまらない」という言葉だけは使わない様にしていた。その言葉を言ってしまったら全てが終わってしまうので「いつか面白くなる、いつか面白くなる筈」と胸の中で念仏を唱えるように自分に言い聞かせながら観続けていた。勿論第25話以降の全てが駄目だったワケでは無い。素直に良いと思える話もあったし今では『あかりGeneration』を観て良かったと思っている。
閑話休題。
『アイカツフレンズ!』は『あかりGeneration』の頃の演出をそのまま引き継いでいる。つまり抑揚の無い記号化、単純化されたキャラクターの表情アニメーションである。具体的に言うと先ずアイドルの全キャラクターに笑顔が多い。常に笑顔と言っても良い位異様に多い。次にネガティブな事を殆ど言わない。否定的なニュアンスという意味だけでなく弱気を吐くような台詞も殆ど無い。あっても大抵笑顔で言う事が殆どである。
そして表情の記号化、単純化は感情の記号化、単純化に繋がるので全員が判を押したような表情しかしないようになっている。現在『アイカツフレンズ!』ではメインとなるアイドルが4人活動しているがその4人共同じ様な喜怒哀楽の仕方を見せるのである。これは不気味だ。暖簾に腕押しというかどんなシチュエーションになろうが金太郎飴の様に4人で同じ表情が繰り返されるので物語自体も抑揚が無くなっていくのである。これは『あかりGeneration』の頃と全く同じだ。
ネガティブな発言をなるべくしないとか常に笑顔でという方向性事態は別に問題ではない。そもそも『アイカツフレンズ!』は女児を視聴者として想定しているのだからアイドル達がポジティブに前向きにアイドル活動をしていくのは寧ろ当然の事である。しかし結果としてそのせいで逆に全てに抑揚が無くなってしまうという現象が明らかに「また」起こっている。『あかりGeneration』の頃もそうだったが全体的に作画が洗練され絵柄も綺麗になり一見したらクオリティは上がっているように見える。しかし作画が整った分アニメーションとしては寧ろ後退してしまっている。
この記事を書く前に『アイカツ!』の第18話位までをピックアップしながら観返してみたのだが、初代の頃はアニメーションとしての幅が本当に豊かである事が良く分かる。喜怒哀楽に無数のバリエーションがありどのキャラクターもその性格に基づいて台詞が書かれており物語上からくる書き割りの様な台詞が全く無いのである。何より会話のテンポが良いので観ていて気持ちが良い。陳腐な言い方になるがキャラクターが本当にイキイキとしている。そして絶望的なまでに面白い。面白過ぎて観る度に溜息をついてしまう程。
『アイカツフレンズ!』は会話が常に一本調子なので会話の抑揚の無さが物語全体の抑揚の無さに繋がってしまっている。所々良い素材が出てくるのに大して生かされないまま全ての要素が1話で完結してしまうので『アイカツフレンズ!』という物語の骨子の部分が何も無いままだらだらと話だけが前へ進んでしまっているのは本当にどうにかした方が良い。
『アイカツ!』では主人公である星宮いちごとトップアイドルである神崎美月の関係が根底に流れていた。『あかりGeneration』ではその星宮いちごに憧れる大空あかりとの関係が根底に流れていた。では『アイカツフレンズ!』の根底に流れるものとは何か。主人公である友希あいねは何のためにアイドルを「続ける」のか。そして何を目指しているのか。正直私はもう現段階で視聴意欲がかなり落ちている。『あかりGeneration』程では無いにせよ、このまま一本調子で抑揚の無い物語が描かれ続けるのはあまりいい気がしない。現在本作以外にも『キラッとプリ☆チャン』『HUGっと!プリキュア』も観ているがこちらもあまり褒められたものではないのでそろそろ現状を打開する様な起爆剤が欲しい所である。
アイカツシリーズは第1期、第2期、第102話から第178話までの『あかりGeneration』。そして一新した『ア〇カ〇ス〇ーズ!』全100話と5年以上続いており、作画の方向性やそれに伴い演出が年々変化している。『アイカツフレンズ!』は『あかりGeneration』の頃の作画に似ており作画監督も当時のアニメーターが参加している。そのため演出やキャラクターのアニメーションの方法も『あかりGeneration』の頃のニュアンスがかなり残っている。問題はこれだ。
『あかりGeneration』は2クール目くらいまでは良かった。新しいキャラクターが登場し、新曲が披露されライブステージはさらに磨きがかかり新たに紡がれる物語は新鮮だった。しかし作画の方向性が変化した弊害からか絵柄自体は洗練されクオリティは上がったもののキャラクターの表情のアニメーションは単純化され、それまでのアイカツシリーズでは出来ていた感情の機微が殆ど失われる様な状態となってしまった。
記号的な表情が増え判を押した様に同じ表情が常に並び抑揚がまるで無く人形が動いているかのような不気味さが生まれていたのである。誰もが同じ様な表情しかせず微細な感情の変化が無くなってしまった事によりそのキャラクターが何を考えているのかが全く表現出来ないので、内面が描写されないままキャラクター達が悩み努力し成長するという異様な状態に陥ってしまった。主人公である大空あかりについては『あかりGeneration』以前から本編に登場していた事もあり視聴者の感情の手がかりになるレベルには描写されていたが、他のキャラクターについては絶望的なレベルで描写が不足しており何を考えているか全く分からなかった。
こういう心理状態なのだろうという推測は出来ても明確にそういった描写が無いので当時は本当に困ったし何より居心地が悪かった。五十嵐達也が演出を担当した回等は良かったが基本的には正直かなり厳しいものが殆どだった。なので第102話以降の『あかりGeneration』に関しては内面が明確に描写された天羽まどか以外のアイドルは好きになれなかった。
今だから言うが当時は『あかりGeneration』を観続けるのが本当に苦痛だった。視聴中にキレた事が何度もあった。あまりにイライラし過ぎてテレビのリモコンを何度も床に叩き付けそうになったが、絶対に「つまらない」という言葉だけは使わない様にしていた。その言葉を言ってしまったら全てが終わってしまうので「いつか面白くなる、いつか面白くなる筈」と胸の中で念仏を唱えるように自分に言い聞かせながら観続けていた。勿論第25話以降の全てが駄目だったワケでは無い。素直に良いと思える話もあったし今では『あかりGeneration』を観て良かったと思っている。
閑話休題。
『アイカツフレンズ!』は『あかりGeneration』の頃の演出をそのまま引き継いでいる。つまり抑揚の無い記号化、単純化されたキャラクターの表情アニメーションである。具体的に言うと先ずアイドルの全キャラクターに笑顔が多い。常に笑顔と言っても良い位異様に多い。次にネガティブな事を殆ど言わない。否定的なニュアンスという意味だけでなく弱気を吐くような台詞も殆ど無い。あっても大抵笑顔で言う事が殆どである。
そして表情の記号化、単純化は感情の記号化、単純化に繋がるので全員が判を押したような表情しかしないようになっている。現在『アイカツフレンズ!』ではメインとなるアイドルが4人活動しているがその4人共同じ様な喜怒哀楽の仕方を見せるのである。これは不気味だ。暖簾に腕押しというかどんなシチュエーションになろうが金太郎飴の様に4人で同じ表情が繰り返されるので物語自体も抑揚が無くなっていくのである。これは『あかりGeneration』の頃と全く同じだ。
ネガティブな発言をなるべくしないとか常に笑顔でという方向性事態は別に問題ではない。そもそも『アイカツフレンズ!』は女児を視聴者として想定しているのだからアイドル達がポジティブに前向きにアイドル活動をしていくのは寧ろ当然の事である。しかし結果としてそのせいで逆に全てに抑揚が無くなってしまうという現象が明らかに「また」起こっている。『あかりGeneration』の頃もそうだったが全体的に作画が洗練され絵柄も綺麗になり一見したらクオリティは上がっているように見える。しかし作画が整った分アニメーションとしては寧ろ後退してしまっている。
この記事を書く前に『アイカツ!』の第18話位までをピックアップしながら観返してみたのだが、初代の頃はアニメーションとしての幅が本当に豊かである事が良く分かる。喜怒哀楽に無数のバリエーションがありどのキャラクターもその性格に基づいて台詞が書かれており物語上からくる書き割りの様な台詞が全く無いのである。何より会話のテンポが良いので観ていて気持ちが良い。陳腐な言い方になるがキャラクターが本当にイキイキとしている。そして絶望的なまでに面白い。面白過ぎて観る度に溜息をついてしまう程。
『アイカツフレンズ!』は会話が常に一本調子なので会話の抑揚の無さが物語全体の抑揚の無さに繋がってしまっている。所々良い素材が出てくるのに大して生かされないまま全ての要素が1話で完結してしまうので『アイカツフレンズ!』という物語の骨子の部分が何も無いままだらだらと話だけが前へ進んでしまっているのは本当にどうにかした方が良い。
『アイカツ!』では主人公である星宮いちごとトップアイドルである神崎美月の関係が根底に流れていた。『あかりGeneration』ではその星宮いちごに憧れる大空あかりとの関係が根底に流れていた。では『アイカツフレンズ!』の根底に流れるものとは何か。主人公である友希あいねは何のためにアイドルを「続ける」のか。そして何を目指しているのか。正直私はもう現段階で視聴意欲がかなり落ちている。『あかりGeneration』程では無いにせよ、このまま一本調子で抑揚の無い物語が描かれ続けるのはあまりいい気がしない。現在本作以外にも『キラッとプリ☆チャン』『HUGっと!プリキュア』も観ているがこちらもあまり褒められたものではないのでそろそろ現状を打開する様な起爆剤が欲しい所である。
2018-08-14 22:38
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