『アイカツ』よ、さらば。 [アニメ]
『アイカツフレンズ!』の放送が終了した。
第1話から第50話までの第1期、そして第51話から第76話までの第2期「かがやきのジュエル編」を経て本作はその幕を閉じた。『アイカツフレンズ!』のアニメ本編については以前から感想を書いていたのでまた新たにダラダラと駄文をしたためるつもりはないので気になる人は「趣味の継続、興味の持続」と「『プリチャン』と『アイカツ』を取り合えず総括」を読んで頂きたい。
初代『アイカツ!』で絵コンテや演出を担当した五十嵐達也が監督を務めた『アイカツフレンズ!』。私が本作に唯一希望を抱いていたのはその一点であり、つまりはそこが駄目だった場合期待できるものは何も無いという状態が当初のスタンスだった。そしてそれは見事に的中した。およそ考えうる最悪の方向で。コンテや演出を担当していた者がシリーズ監督に抜擢されるという事それ事態は珍しい事ではない。そういった人事で成功している作品もあるし、本シリーズの様に長期的に継続する作品においては一人の監督が何年も継続して担当するという事の方が寧ろ難しいと考えるとシリーズ経験のある人間が監督に抜擢されるのは当然流れだとも言える。
ただ、その場合身内の人間がシリーズを回し続ける事になるのでそれによるリスクも当然生まれる事になる。シリーズが継続することによって発生する悪癖が自浄作用の行われないまま内部循環するというリスクである。新シリーズが始まってもそれが同一の制作スタッフによって回される以上、当該作品のベースとなる理論、論理、倫理等は大きく変わる事が無いため良い部分も悪い部分も引き継がれ、繰り返されてしまうというのは長期シリーズ作品においてよく見られる現象である。
そしてそれは『アイカツフレンズ!』も同じだった。
そもそも私が本作に期待していたのは五十嵐達也がアイカツシリーズの監督を務める事によって従来の悪癖だった金太郎飴の如く判を押したような薄っぺらいキャラクター描写が一掃される事だったのだ。『アイカツ!』115話以降の人形劇とも言える様なあの薄ら寒い描写の数々、書き割りの様な説明的で画一的な変化の無い会話、子供向けと子供騙しを勘違いした底の浅い内容。
思い出すだけでも未だに溜息が出てしまうのでこれ以上書くのは控えたい。アイカツシリーズは作品が続けば続くほど演出やシリーズ全体の構成をまともに出来る人間が居なくなってしまった事と制作する人間にそもそもアイドルに興味のある人間が居なかったが故に、今ではアイドルものとしても一つのアニメ作品としても致命的なまでに面白くない作品に成り果てたのだが、五十嵐達也が監督として参加するのならばキャラクター描写だけでもまともなものになるのではという希望的観測があったのだ。
だが蓋を開けてみれば五十嵐達也がコンテや演出を担当したのは第1話だけで後の大半はいつものスタッフだった。つまりは同じ事の繰り返しである。EDのクレジットでコンテや演出にいつものメンバーの名前が挙がるたびに肩を落としていたのは言うまでも無い。というか五十嵐達也が担当していない事はクレジットを見るまでも無かったのでそれは単なる確認作業でしかなかった。「ああ、今回も駄目だったな」と。
2クール目くらいまではまだ行く末に一筋の希望の光は残っていたが第45話辺りではもう完全に諦めムードに入っていた。第1部のクライマックスでさえあの有様である。何を考えたら4クールアニメ作品の構成をああも酷いものに出来るのか。もはや個別の脚本や演出というレベルの話ではない。『アイカツフレンズ!』は土台から腐っていたのである。土台が腐っているから個別の要素に良い部分があっても悪い部分と相殺されてしまうので結局意味が無くなってしまう。
折角生かせる設定や描写があっても既に手遅れな所まで進んでいってしまっているので全てに意味が無くなってしまう。観ていて本当に苦痛だった。いや。苦痛というかもはや「無」だった。何も無い。意味の無い物語と意味の無い描写が延々と続くその様は地獄と呼ぶに相応しい。これはアイカツ地獄だ。大きな岩を山頂に向かって只管転がすシーシュポスの様に私はただただアイカツ地獄に耐えていた。
何のために?
毒を喰らわば皿までという言葉があるが当然その側面もあった。初代にあれだけ入れ込んだ以上その様な結末を迎える事になったとしても最後まで付き合う、と。ただ、私にはこの地獄に耐えるもう一つの理由があったのだ。この面白くない物語を見続けるもう一つの理由。それは「いつか面白くなるかもしれない」という可能性を最後まで捨て切れなかったからだ。もっと具体的に言うと例え全てが壊滅的に面白くなかったとしてもそれを許容できてしまうくらいの最高の3DCGのライブステージに一度でも出会えれば良かったのである。そもそも私がアイカツシリーズを観続けている動機はそこにあるからだ。3DCGのライブステージこそが私が女児向けアニメを観続けている理由の根源である。
だが『アイカツフレンズ!』のライブステージはどれもイマイチだった。唯一良かったのは第7話で披露された明日香ミライの「アイデンティティ」だけだった。記事を衝動的に書きたくなるような心揺さぶられるライブステージは殆ど無く物語が進むにつれ私の心の中には次第に「期待するだけ無駄」という感情が生まれていくようになった。
基本的に頭から否定して本編を観るようなスタンスは取らないように気をつけているのだが流石に無理だった。視聴中は他の事をしないようにしているしスマホ等も見ないのだが第50話以降の第2期に入ってからは興味が失せ始めたのか、ながら視聴をする事が多くなったし酷い時はあまりのつまらなさに耐え切れず寝落ちする時すらあった。それくらい『アイカツフレンズ!』というコンテンツが自分の中で存在が希薄になっていたのである。そうなると次に出てくるのは止められないネガティブな感情である。
早く終われ。
私は願った。『アイカツフレンズ!』という作品の終わりを。この地獄の終着点を。登場人物がどの様な結末を迎えようと最早どうでも良かった。この子供騙しですらない下らない作品がどうなろうと知ったことではない。腐った土台に建てられたモノは倒壊する運命から逃れられない。まあ、せめてその建てられる墓標までは見届けてやろうとは思っていたが。
しかし風向きを変える出来事があったのだ。この腐臭吹きすさぶ地獄の空気を僅かにでも変えられる様な変化が。第2期でアイドル活動に復帰したアリシア・シャーロットにフォーカスを当てた第63話「すべての道はアイカツに通ず!」である。この話はアイカツに復帰したアリシアの一日を巡るものなのだがこの話の絵コンテを担当したのは初代でも多数携わっていたこだま兼嗣だったのである。この話数も当然観る前は全く期待していなかったのだが物語の運びや表現、キャラクター描写がそれまでとは比べ物にならないほどしっかりしており、何より一本のアニメ作品として面白かったので観ている最中はその面白いという事実に驚いてしまったのだ。
第63話はアイドル活動に復帰したアリシアが巻き起こすカルチャーギャップコメディという物語構造がベースになっているので話の起承転結がしっかりしており、そこにベテランであるこだま兼嗣の絵コンテが組み合わさるので抜群の安定感が生まれておりアイカツというアニメが本来持っていたアイドル活動による面白さが息を吹き返していたのである。
そして何と言ってもカレンが歌う劇中のライブステージ「強く美しく優しく」だろう。
第63話「すべての道はアイカツに通ず!」ライブパート
神城 カレン / 「強く美しく優しく」
アンジュアクアマリンコーデ / Classical Ange
曲が素晴らしいのは勿論の事、抑制の効いたカメラワークとレイアウトにおけるキメ画のはったり加減、それらが振り付けと歌詞によって意味を成し有機的な繋がりを持つ事による相乗効果。思わず釘付けになったばかりか感激したあまりその日の内に何度も見返してしまうくらい魅了されてしまった。まさかここにきてこんなに素晴らしいライブステージを見る事が出来るとは夢にも思っていなかったし、本編も負けず劣らず面白く仕上がっていたので本当に驚いてしまった。『アイカツフレンズ!』で本編を何度も見返したのは後にも先にも第63話だけである。
本編も面白いしライブパートも素晴らしいなんてまるで奇跡の様だった。そう奇跡だったのだ。そして奇跡は何度も起こらない。第63話以降は既に解決している問題を掘り起こして再び主軸に据えるという正気を疑う物語構造の中で作品のアイデンティティである「フレンズ」という要素を置き去りにしたまま、第50話以降何も変化の無い主役二人が「天候」という人間にはどうにも出来ない相手に右往左往するという非常に頭の痛くなる展開が続く事になる。
『アイカツ!』では視聴者へのギャグ、メタ表現として登場人物達の奇想天外なアイドル活動をして「これ、アイカツか?」と劇中のキャラがつっこむ描写が頻繁に登場するのだが、つっこみ要因が不在の本作では最早アイドル活動ですらないそれらの展開を前にして視聴者自身が「これ、アイカツか?」と思わざるを得ない状態に陥っており、その様は悲惨という他無かった。「これ、アイカツか?」というつっこみは実は視聴者に対するギャグ表現の橋渡しの役割を果たしていたのだと私は本作を通じて知る事となった。
ブリザードが頻繁に起こる気候の土地において「アイカツをすればみんなが笑顔になる」という理屈で行動するのは狂気でしかない。ギャグのつっこみ要員どころか人間としての道徳観や倫理、常識の欠如した言動に対して劇中のキャラの誰もが真面目に指摘しようとしないので観ている側だけが頭の痛くなるというフラストレーションの溜まる展開が続くのである。
ライブが成功しようがしまいがその土地がブリザードの起こる気候であるという事実は変えられないので劇中の登場人物達がまるで何かに憑り付かれているかの様な異様な集団に見えて仕方が無かった。脚本家やシリーズ構成はこれが本当に正しいと思って書いていたのだろうか。本当にこれがアイカツの姿だと本気で信じていたのだろうか。もしそうなら頭がおかしいとしか思えない。
宇宙でアイカツするスペカツや宇宙から飛来した隕石に選ばれたものが手にするジュエリングドレス、結局具体的な設定の明かされないアイカツゾーン等『アイカツフレンズ!』は意味不明な要素が多すぎる。それが物語全体にどう影響するのか、どういった役割を果たしてどの様に意味を成すのか、具体的な計画が無いまま設定が先に決まったとしか思えない。結局「フレンズ」という作品の根幹を為す要素も「二人でライブする」という以上の意味は無く、言葉で何度も友達と連呼しようがそれは単に友達の数が増えるという表面的な意味合いに留まるだけで寧ろ二人によるライブというフレンズという設定は足枷に過ぎなかった。友達なんていう言葉をわざわざ使わなくとも初代『アイカツ!』の方が余程『アイカツフレンズ!』を実践出来ていたのではないか。
何しろ主役二人の関係がそれを如実に表しているからだ。友希あいねと湊 みお。第1話でフレンズを組み第76話まで運命を共にしたフレンズ。と言えば聞こえは良いが、この二人第1話から最後までお互いの距離感が殆ど変わっていないのである。友希あいねは元々人当たりが良く誰とでも友達になってしまうタイプなのでみおとフレンズを組もうがお互いに下の名前で呼び合う様になろうが対して変わらないのである。対する湊 みおは他人との距離を置きがちという設定はあったもののそれ自体は序盤でほぼ解消されたどころかその後はその素振りを微塵も感じさせない状態になってしまったので、フレンズを正式に組んだ1クール目の終わりの段階で二人の関係に進展の余地が殆ど無くなってしまったのである。これは致命的だった。
長期的なスパンのアニメ作品というのは大局的変動を通じて人間的成長を遂げる主人公を描くからこそ成立するのであり、それが序盤でほぼ終わってしまった本作には物語的な成長の余地がかなり狭められてしまったのである。本作が面白くない点の構造的な問題の一つである。価値観の異なる者同士が同じ道を共に進むという物語構造は古くからの王道のパターンだが、本作はフレンズという設定を表面的に用いるだけでそれによって生まれる人間関係に深く踏み込もうとはしない。せいぜい思い出したように喧嘩する程度である。
と、こんなペースで書き続けていたらきりが無いのでここで切り上げるが、『アイカツフレンズ!』は全く面白くなかったという事で結論とさせて頂きたい。物語的にもキャラクター描写的にも見所は何も無かった。本当に無かった。フレンズという設定は結局物語上の面白さに寄与する事無く単にマーケティング上の要請として処理されて終わった。肝心の歌もMONACAが担当しない楽曲の数々はピンと来るものが少なくライブステージも心に響くものは2つしか無かった。
観た事を後悔するとか観なければ良かったとは思わないが得たものよりも失ったものの方が遥かに大きい。五十嵐達也に4クールアニメ作品の監督を務めるだけの力量は無かったのだ。女児向けアニメである『アイカツ』というコンテンツに制約は大きいものの、その中で初代『アイカツ!』を見事に作り上げた水島精二という前例がある以上その言い訳は通用しない。ただ監督の五十嵐達也がアイドルに興味が無かっただけなのだと思う。
面白くないコンテンツに付き合い続けるのは苦痛だ。それがかつて好きだった、面白かったコンテンツなら尚更だ。『アイカツ』が凄いのはコンテンツの経過年数に比例して人気が落ち、売上が下がり、面白さも目減りしていったという点である。普通こういった長期的なコンテンツは途中に梃入れが入って何かしら持ち直すのだが『アイカツ』は7年目である今が最も酷いのである。目も当てられない。悲惨だ。
そしてその最も酷い年に『アイカツ』は新シリーズとして生まれ変わる。
『アイカツオンパレード!』として。
歴代のアイカツシリーズのキャラクター達が時空を超えて競演するオールスターシリーズ。要は打ち切り前の最後の足掻きである。しかしオンパレードというタイトルは凄い。日本でオンパレードという言葉は基本的にネガティブな意味で使われる事が殆どだからだ。なのでこのタイトルを始めて聞いた時は思わず耳を疑ったものものだ。言い換えれば「アイカツばっかり」になるのだが、何せあの悪名高い『アイカツスターズ』も含まれているからだ。
そして監督は何と『アイカツフレンズ!』の五十嵐達也である。製作スタッフも殆ど一緒だ。木村隆一も関わっている。もう駄目だ。面白くなる要素がない。キャラクターデザインは旧シリーズのキャラクターもアイカツフレンズ準拠にリファインされているので違和感が物凄い。『アイカツフレンズ!』をまともに描けなかった監督が歴代シリーズの全アイドルが登場するオールスター作品の監督をまともに制作する事が出来るか?無理だ。絶対面白くなれない。勿論面白くあって欲しいがこの布陣で一体何を期待すればいいのか。私には何も見えない。だが当然今作も全部見るつもりだ。最初から最後まで、どんな姿に成り果てようと、どんな醜態を晒す事になろうとも私は『アイカツオンパレード!』に付き合うつもりである。
そこに意味はあるのか?
面白くない可能性の方が遥かに高いのにわざわざ見届ける事の意味が?
願っているのだ。あって欲しいと。
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こんにちは。
アイカツオンパレードをおそらく視聴しきった事と思いますが、感想がどうしても聞きたいです。
多少口が悪くとも的確で論理的な貴方の文章は、私があかジェネやフレンズに対し抱いていた漠然とした不満や疑問点を明確にしてくれるものでした。
もうすぐ新プロジェクトが始まるそうですが、アイカツシリーズの行き着く先が不安でなりません。
もしよろしければ、今のアイカツに思うことを言語化していただければ幸いです。
by お名前(必須) (2020-06-09 15:20)