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「METAL GAER SOLID : RISING」の可能性 [ゲーム]

新規ビットマップ イメージ.jpg
小島プロダクション新作。
「MGSサーガ」の正当な続編。

「METAL GEAR SOLID : RISING」

舞台は「TACTICAL ESPIONAGE ACTION」(戦略諜報アクション)から「LIGHTNING BOLT ACTION」へ。

サブタイトルである「RISING」がメインタイトル化している事、「LIGHTNING BOLT ACTION」の意味するところとは一体何か。その一端を探るべく、アクションゲームというジャンルにおける「アクション」がどの様に構成されているかを過去の作品をベースに分析しようと思う(そんな大層なモノではないが)。なお、これは独断と偏見に基づくモノであり普遍的、あるいは一般化された価値観ではない事を予め明記しておく。

スタイルとしてのアクション 
ex.「DEVIL MAY CRY」「GUNGRAVE」「武刃街」
ゲームの主体は「主人公の攻撃」となる。戦闘を「スタイル」とし、如何なる攻撃方法でスタイルに沿った戦い方をするかが主な目的となる。そのため、敵の個性は基本的に関係無く、相手が何であろうとそれは「スタイル」を前提として単に攻略方法を変えるに留まる。敵は最早記号であり、「スタイル」の前においては個性は没する。このジャンルの傾向として、戦闘自体が評価の対象となる事が多い。

表現としてのアクション 
ex..「GODHAND」「GOD OF WAR」「Heavenly Sword」
ゲームの主体は「戦闘」となる。戦闘を「表現」とし、プレーヤーはその攻撃方法を以って戦闘を演出する、あるいは「演出される」。「スタイル」と同様に敵は記号として扱われる傾向にあるが、戦闘においてはプレーヤーと敵とが一体となり戦闘を演出するため没個性とまでは言えない(さじ加減ではあるが)。敵は単に排される記号では無いという点が「スタイル」と異なる。

戦闘としてのアクション 
ex.「NINJA GAIDEN」「ARMORED CORE」
ゲームの主体は「戦闘行為」となる。ここでは記号や個性は関係なく、戦闘という言葉が本来意味する「殺し合い」のみが展開する。評価や点数はあくまで付加価値であり、ゲームの本質は純化された「戦闘行為」である。もちろんプレーヤーの腕如何によっては「演出」する事も可能であるが、基本的にプレーヤーの意識は「如何にして敵を殺すか、あるいは殺されるか」にある。「最もアクションゲームらしい」とも言える。

デザインとしてのアクション 
ex.「HITMAN」「無双シリーズ」「ライオットアクト」「鬼武者」「ICO」「Shinobi」「天誅」
ゲームの主体は「マップデザイン」または「その配置」となる。プレーヤーはマップデザインを攻略する形でゲームに参加する形式を採る。戦闘行為自体は目的ではなく手段となり、プレーヤーの目的はステージ上のゴール地点である。そのため戦闘行為に深みは無く、個性はあるが記号的であることが多い。ゲームの構成を「パズル」として考えると分かりやすいだろう。

肉体としてのアクション 
ex.「ASSASSIN`S CREED」「トゥームレイダー」
ゲームの主体は「主人公」となる。ゲーム自体の構成は「デザイン」と非常に似ているが、主体はあくまでプレーヤーの操るキャラクターである。キャラクターの「動き」と言ったほうが適当だろうか。プレーヤーは主人公の肉体を操る事によってそれを感じ、ゲーム内で自らの肉体を動かしている。このジャンルの傾向として、キャラクターの動きは非常に現実に即したものとなっており、その操作においてはいわゆる「遊び」が多分にあり、入力から出力までにラグがある、またはそれに類する演出が為されている。悪く言えば「モッサリ」している。

アイデンティティーとしてのアクション 
ex.「grand theft auto」「モンスタハンター」
ゲームの主体は「世界観」となる。ゲーム内には世界が構築されておりプレーヤーはその箱庭の中で一住民として振舞う形式を採る。プレーヤーは小市民的な役割が多く、世界そのものに干渉する事はあまり無い。ゲーム内にはアイデンティティーを充足するためのアイテムが無数にあり、プレーヤーはゲーム内で己の分身を生み出す事が出来る。だが、プレーヤーはそれらを選択する自由があり、また選択しない自由もある。プレーヤーの行動に関係なく依然として世界はそこに「在る」のである。「現実では出来ない事がゲーム内で実現できる」なんて事も言われている。

戦略諜報としてのアクション(TACTICAL ESPIONAGE ACTION)
ex.「METAL GEAR SOLID」「SPLINTER CELL」
ゲームの主体は「行動」となる。ゲームの進行はプレーヤーの行動如何によって決まる。戦闘行為はあくまで補助的な役割を果たすのみであり、一手段に過ぎない。そしてそれは「敵を倒さなくても良い」というアクションゲームの構造を逆手にとった構造を為している。ある意味プレーヤーの行動がその場を支配しているとも言える。このジャンルの傾向として、ゲームの構造からくる論理的帰結として戦闘行為またはそれに準じる行為については消極的な態度を採らざるを得ない。

と、書き連ねてみたが、これはあくまで私個人の視点から視たモノであり、またその分析においては明確な線引きがあるワケではない。その評価の判断は往々にしてどんぶり勘定であり「そういった要素が強い」という印象でしかない(他の要素も在るということ)。また、上記以外にもおそらく幾つかのジャンルはあるのだろうが面倒なのでやらない。

では、「MGS RISING」における「LIGHTNING BOLT ACTION」とは何か。
まずはっきりしているのは「TACTICAL ESPIONAGE」が無い、つまり従来の潜入アクションではないという事である。それは主人公が雷電である事からもはっきりしている。となると、考えられる可能性として一番近いのは「NINJA GAIDEN」に代表される「戦闘」に特化したアクションだろう。

しかしだ。はっきり言ってしまうが、生身の戦闘に特化したアクションで「NINJA GAIDEN」で超えるモノは今のコジプロには作れないだろう。「Team NINJA」が「NINJA GAIDEN」を作れたのは「DEAD OR ALIVE」というノウハウがあったからであり、生身の人間による動的なアクションのノウハウが無いであろうコジプロには、それに近いモノは出来ても超えるのはまず無理である。それは小島監督自身が良く分かっているだろう。

とすると、考えられるのは「演出」だろう。ただこれも「GOD OF WAR」という傑作が既にその地位を占めている現状があり、二番煎じに陥る可能性は十分にある。なお「デザイン」と「アイデンティティー」については論ずるまでもないだろう。

ならば「LIGHTNING BOLT」という文字を考えてみるとする。おそらく電光石火的な意味合いなのだろうが、ここで参考になるのがかの有名な「光速の異名を持ち重力を自在に操る高貴なる女性騎士」である。

最初に公開されたtrailerではRPGでありながら縦横無尽に駆け回り、電光石火の如く攻撃を繰り出す彼女はその名に恥じぬ活躍を見せていたが、あれこそ正に「LIGHTNING BOLT」だろう。MGS4の活躍を見ればアレを雷電に当てはめてみても違和感は無いのではないか。

が、果たしてそれは「METAL GEAR SOLID」と呼べるのだろうか。その超人的な動きしていたスネークのせいで「こんなものはMGSではない」と言われた「MGSTS」の二の舞を演じる事になりはしないだろうか(私は好きだのだが)。

とすれば考えられる可能性は一つ。
本作は「LIGHTNING BOLT ACTION」とは銘打ったものの、MGSという肩書きがある以上直接的ではないにしろ諜報要素は確実にあるので、「NINJA GAIDEN」的なモノにはならないだろう。おそらくは上記に挙げたジャンルの要素を幾つか組み込んだハイブリッドな新機軸のアクションゲームになるのが妥当な線かもしれない。それとも全く新しいアクションのジャンルを創造するのか。

いずれにしても妄想である事に変わりはない。

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