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東国原総理大臣 [虚言/妄言]

私は政治に疎い。

なのでこれから私が書く事は「そういう人間が言う政治論」なので、政治に詳しい方は読まなくても良い、または読まない方が良いだろう。

東国原知事に対して何人かの政治家の発言がメディアに取り上げられていたが、やはり政治家という者は既存のシステムに執着してしまうものなのだろうか。

彼らは構造改革を謳いながらも己の発言がその真逆を行っている事に全く気付いていない。「違う血液型の血を輸血したらダメだろう」とは言うが、輸血とはそもそも人体という既存のシステムを復元させるため、原状へと回帰させるために行うモノであって、物事を変化させる事ではない。言葉を扱う事を生業とする政治家がそんな事に気付いていないというのは最早致命的である。

恐らく彼は無意識の内にあの発言をしたのだろうが、意識的にしたにせよ、言葉の意味もそしてその言葉によって作用する力の大きさも分かっていない頭の悪い人間である事は確かである。

そもそも何故彼らは自信満々に怒りに任せて知事を非難できるのか。彼らが自らの政治的正しさが正しいとする根拠は一体何なのか。まさかそれは今の政治の現状を見て言っているのか。だとしたらそうとうおめでたい話である。

それに知事の発言について「冗談だろ」などと言っている人間がいるが、今までの経緯からして東国原知事が政治の場で冗談を言うわけがないだろうに。その程度の事も把握していないのだろうか。

「地方の知事の事までいちいちかまっていられるか」などと思っていたらそれこそ馬鹿である。今の東国原知事が国勢にどれ程の影響を与えられる人物になっているかは最早誰の目から見ても明らかだろう。チェックしておくのは当たり前である。その点では古賀氏の着眼点は恐らく間違ってはいない。

「あらゆるファクターが混在している時にシステムは最大のパフォーマンスを発揮する」と先日婚約した私の師は言っていたが、師はこんな事も言っている。「外部からの異質なファクターを入れる事によってシステムが上手く稼働する事もある」と。

小泉劇場の五年間は「小泉純一郎という異質なファクターがトップに立つ」事によって生まれ、既存の政治構造または概念の幾ばくかは破壊され、そして同時に国民の支持も得ていた。

安倍内閣から続く「政治的不能」な三年間は、同じ事が繰り返された事による政治的停滞であり、何も生まれるモノはなく何も壊れる事も無かった。

「最も総理に相応しい人物」として現在桝添氏が挙げられているが、私からすれば全く以て相応しいとは言えない。桝添氏の政治論やその手腕がどの様なモノであるかは全く知らないが、既存のシステムに浸かった人間が繰り上がるのであればその先は見えているに等しい。根拠は無いが。

だが、末端の組織が幾ら頑張って動こうとも大本となる心臓に不全があるのであれば、その心臓を治療しなければ意味はない。流れてくる血がどす黒いままではいつまで経っても地方分権は難しいだろう。

東国原知事についてもその政治論、思想は全く知らないので彼が首相に相応しいかどうかは私には分からないし、誰にも分からないだろう。だが、彼が上に立つ事によって既存の政治構造の大部分が破壊される事は想像に難くない筈である。

遅かれ早かれ東国原総理大臣は誕生するだろう。
なぜか。別に難しい話ではない。

二度ある事は三度ある

ただそれだけの事だ。
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