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ネタバレはそれほど警戒すべきなのか [虚言/妄言]

http://tekitounaotoko.blog4.fc2.com/blog-entry-482.html

このエントリではネタバレに関して幾つかの論点が挙げられているが、概ね同意できるモノもあれば出来ないモノもある。ただ、「無いに越した事はない」という事については共通して言える事だろう。

程度の差はあれど、ネタバレによって楽しみが減っている事は事実であり、ネタバレという言葉が認識される以前の問題として、マナーとしてネタバレは守られなければならない。まあ、要するに「空気読め」という事だ(これは世の常識も同じである)。

『「嫌がる人にネタバレを踏ませるのはダメだよね」というのと、「ネタバレを書く場合は事前に警告するのは当然のマナーだよね」という前提に立った上で、「ネタバレによるダメージを多く見積もりすぎなんじゃないだろうか」という趣旨で書きました。』
と言っているが私からすればそういう事を論じる事自体が既にナンセンスである。もちろん上記の様な論点が出てくる感覚も理解は出来るが、結局コメント欄に書かれているように「ネタバレによるダメージ」なんてものは個人の感性に依るモノであり、一概に語られるべきモノではないだろう。

コメント欄で「つまりどんな作品であろうがネタバレがない方が楽しめる可能性はずっと高くなる。とうぜん警戒した方がいいと言う所に帰結する。」と書かれているがまさにその通りである。情報は少ない方が期待感は増えるし、作品に触れた時の驚きも当然大きくなる。究極的に言ってしまえば一番楽しめるのは「情報が何も無い状態」である。

極端だと思うかもしれないが、考えてみて欲しい。
例えばある大作ゲームソフトの新作の制作発表がされたとする。この場合、オリジナルの作品とは違いナンバリングという点でユーザーにはある程度の予想の幅が出てくる。どの様なキャラクターか、どの様な世界観か、どの様なストーリーか。期待に胸は膨らむだろう。そして想像の幅は実はこの時が一番大きい。当然である。情報が一番少ないからだ。

そして次に具体的なビジュアルによって情報が提示される。この時点でその作品は期待と失望の岐路に立つ事になり、またユーザーには具体的な情報が提示された事によって作品に対する想像の幅がある程度限定される事になる。もしされなかったらそれは現実逃避だろう(ご愁傷さま)。

そう、情報が開示される事によって期待感は増えても、作品に対する楽しみは少なからず削がれているのである。そんなことはない、寧ろ大きくなる位だと言う人もいるだろう。まあ、その通りである。ただしその点においては。

つまり「作品についての情報を得る」という楽しみはその時点で失われているのである。そしてそれはネタバレと同義である。何せ情報の重要性が違うだけで「ネタ」が「バレ」ている事には違いないからである。「ネタバレ」とは何も作品の根幹に関わる情報だけを指すモノではない。

だから私は未だにDMC4の情報は「ダンテ」「ネロ」「キリエ」以外の情報を殆ど知らないし、MGS4では「BB部隊」については情報を遮断している。そして両作品ともTrailerは半分以上は観ていない。バイオ5も同様である。

またゲーム以外にも映画の予告編で言われるいわゆる「キラーカット」等でも同様の事が言えるだろう。これは予告編というモノがそもそも「そういう性質」である事からの当然の帰結である。

先に言ったようにネタバレなどというモノは論じられる以前の問題である。しかし、これはその様なモラル、マナーが保持されている事を前提としているので当然守られる筈もない。

ではどうすればいいのか。簡単な話である。何も見なければいいだけだ(元も子もない)。

なお先のエントリに対する意見も見られたのでリンクを。
http://ralf-halfmoon.jugem.jp/?eid=376
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