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麻、生ですか [虚言/妄言]

散々メディアで取り上げられているので今更感は否めないが、麻生氏の発言はやはり私達の感覚とは根本的にずれているような気がする。というか実際にずれている。

先日、氏は「お宅の夫は100%ですか?」「私だって100%ではありません。」と街頭演説で述べていたが、これもまた変な話だ。

断片的にしか情報がないのでその全容は分からないが、おそらく氏は自分もあなた達と同じ人間であるから同じように失敗もしますよ、というようなニュアンスで発言をしていたのだろう。だからもう少し暖かい目で見守ってほしいと。

まあ、そりゃそうだ。
首相とは言え氏も人間である。失敗もあろう(現に失敗してるし)。それに今の政局はサブプライムローンに胆を発する金融問題(このフレーズ飽きてきたな)にその舵取りが大きく左右されているから、給付金や解散と相俟ってうまくコントロールできないのも分からないではない。

しかし、そこに至る帰結として「100%ではないから」という論理を使うのは如何なものか。

「私は完璧ではない」「だから失敗もする」
この論理の構造はどうなっているか。そんなものは少し考えれば分かる。それは「失敗の前提」である。失敗を許容するものである。

そしてこの論理を選択した者にとっての正解は失敗する事に求められる。なぜか、それは失敗を前提にしているのならばその論理は失敗した時に初めてその正しさが保証されるからである。

「失敗してしまった。でも仕方がないよね。」

失敗を正当化する以上、それは許容され「正しい選択」「正しい結果」の一つとしてカウントされる。そして一度そうなった以上、その者は同じ論理を取らざるを得なくなる。これはある種の人間の業なのだろう。ちなみにこれは「失敗は成功の元」とは全く別次元の話である。

そして恐ろしい事に、氏はおそらく今までの「国民によって否とされてきた政策」についてはそれを失敗だとは思っていない可能性が高い。多分、氏にとってはそれが客観的に「庶民的」に失敗であったとしても「自分にとっては正しい選択」としか認識できていないのだろう。

つまり、氏は「私は完璧ではない」「だから失敗もする」という失敗を前提とする論理を取りながらも失敗を失敗として認識していない事になる。これは恐ろしい。そのソリューションにおいてリスクをリスクとして認識していない以上、氏にはリスクヘッジの概念が無いのかもしれない。

「私は常に正しい選択をしている」という事を確信している事について別にそれを異とする理由はないが、その正しさを保証しているモノが「正しい選択をしている私自身」である場合、その人が選択を間違える可能性について認識する事は難しい。

多分、氏は「御山の大将」「裸の王様」と言われても「大将ですから。王様ですから。」と言って「御山・裸」についての認識を排除する事に憚らないだろう。というか認識できない。現に氏は「失敗の許容」発言がどの様な印象を与えるか理解できていないし、その発言だけは何があっても、例え考えていたとしても政治家という立場上言ってはならないという事を理解していなかった。

失敗を前提とする事は別に問題ではない。寧ろ失敗を考慮しない方が私はどうかしていると思う。問題は失敗が生じた時に如何にそのリスクを分散・低減させるかだろう。失敗する可能性があるのにそれについて言及しないのは無責任以外の何者でもない。選択するという事は本来そういう事を意味する筈ではないのか。

小泉氏と一緒に麻生氏のものまねをしている芸人(?)が「庶民ではないから私は庶民派をアピールしているんだよ」と言っていて成程と思ったが、氏は庶民派という言葉の効用は知っていてもその言葉が何を意味するのかは多分わかっていない。

そして私達はそんな氏に国の舵を握らせているわけだが(望んでないケド)、本人は文字通りそんな事には頓着せず「正しい選択」をとり続け、これからも政局や私達の生活を賑わせていくのだろう。非常に楽しみである。

それから、「メディアではよく麻生・小沢のどちらが?」という論調がなされているが、一部麻生氏より支持率の高いとされている小沢氏について、民主党に関する知識が欠落している私のような者でも氏については一枚岩という印象を受けずにはいられない。あるいは一枚岩ですらないのか。

まあ、誰が首相に相応しいかはそれこそなってみなければ分からないモノではあるが、少なくとも「体を壊してしまって続けられない」「こんな事は私のプライドが許さん!」等と言って匙を投げる人には少なくともお任せする事はできない。

あなたが私達とは違う事については異論はないが(寧ろ一緒では困る)、少なくともあなたがそれをメディアを通じて地で言ってしまった事については一国のトップとしてはあまりにも幼稚であり、器量が小さい。今更ではあるが、仮面を使う立場というモノを理解しておくべきだった。身近に先人が居るだろうに。

模範とは言えないが(その内容はともかく)成功例として認識されている、圧倒的なカリスマと手腕で日本を掌握した小泉氏や、庶民と役人の二つの人格を併せ持つ現宮崎県知事などをモデルとするならば少しは「国民に優しい政治」が行われる可能性が出てくるのかもしれない。

現状に合うかは知らないが。
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