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現代的価値観としての『ハピネスチャージプリキュア』 [アニメ]

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以下ネタバレ


私にとっての初のプリキュアTVシリーズとなった『ハピネスチャージプリキュア』が終わった。
地球の神ブルーの愛の結晶によって生まれたプリキュア達がブルースカイ王国を根城にする幻影帝国とその主であるクイーンミラージュを浄化し、その元凶であったもう一人の神レッドを改心させる事によって平和を取り戻す。簡単にまとめるとこんな感じになるが、今回プリキュアに初めて触れた事によって色々と面白い事が分かった。

最終話である49話でハピネスチャージプリキュアという話が何故始まったのかという事が漸く明らかになったのだが大元はレッドのブルーに対する情念から生じたものであった。嫉妬、怒り、憎しみ、そして破壊。全ての発端は自らの不幸を呪い他人の不幸を願うレッドの想いであり、そしてその対象となったのは自分の弟である地球の神ブルーだった。

兄弟間の感情のもつれが周囲の人間を巻き込みやがて破滅を招く。解決の手段として地球の神であるブルーは人間に力を授け使役しようとする。巫女、神降ろし、神がかりの存在としての「プリキュア」は愛、勇気、希望、優しさを願い信じることによって力を得て、他人の不幸を願いそれを糧に生きる幻影帝国と戦う。地球に生きる全ての者を愛するという正にアガペーを体現したブルーだがそれ故に自らの想いと寄せられる想いの狭間で苦しみ、結果として自身が人間の「不幸」に関与してしまう事になってしまう。

幻影帝国が浄化された事でレッドは追い詰められ自ら手を下す事となり、かつて愛し、そして文明の滅びてしまった惑星レッドを地球にぶつけることによって終焉をもたらそうとするが、神の代行者であるプリキュア=人間によって愛を説かれ説得される事によって地球は崩壊を免れ、ブルーとその愛した人間であるミラージュ、そしてレッドは惑星レッドと共に彼方へと旅立って行く。おそらく地球に平和がもたらされた事により彼女らが再びプリキュアに変身する事はないだろう。神なき地球にプリキュアが存在する理由も無い。


なんてこった。『ハピネスチャージプリキュア』という物語は実は「神々の黄昏」だったのである。


神々が問題を起こしその神々が最後には退場する。北欧神話、ギリシャ神話をベースにした物語の基本形である「神々の黄昏」。かの「指輪物語」も多様な種族がうごめく中最後に残るのは人間だという。事の発端である神々が人間を創造し半ば運命的に破滅を迎えてその創造物である人間だけが後に残される。レッドとブルーの関係から生まれた争いが人間を巻き込み最後には自らが物語から退場するその様は神々の黄昏そのもの。兄弟間のもつれというどうしようもない理由もピッタリである。

本作を観る前はてっきりプリキュアというのは「立ちはだかる困難に対して自立的に行動し大局的変動を通じて人間的成長を迎える」という王道の少年漫画的な物語だと思っていたのだが、少なくとも「ハピネスチャージプリキュア」はそうではなかった。

本作は非常に現代的だ。先ず主人公の父親が殆ど登場せず物語にも全く関わらない。これはプリンセス、ハニー、フォーチュンも同じである。そればかりか主人公の導き手としてのメンターすら登場しない。では作中に頻繁に登場し物語にも深く関わっている「大人」である地球の神ブルーは何なのか。これはもう見たまんまの「威厳を備えない役立たずの大人」である。この大人像は近年のあらゆる物語の構造に深く根ざしており家族とその役割における価値観の変遷が如実に表れている。子供の手本となる大人の存在の不在、家族の不在。本作は驚くほど現代的な価値観で構成されている。

それら「大人」によって発生した「不幸を振りまく幻影帝国」という問題を子供達が誰にも頼らず自らの手で解決策を模索し「大人」を説得する事によって問題を解決へと「導く」。こうなってくると本作の主体は最早プリキュアである主人公4人などではない。完全に神々=大人側である。そのため本作にはプリキュア達の自立的、主体的な物語としての側面が非常に薄い。レッドとブルーが兄弟だと判明してしまった事により提示された問題のレベルがさらに矮小化したからである。

もしレッドがブルーのもう一つの側面、つまりはブルー自身であったならば問題は無かった。自らのアガペーによって不幸を生んでしまったブルーが憎しみの存在としてのレッドと向き合うことによって問題が収束するという運びになっていれば、本作における「大人」が救済される、または改心へと向かう事によって「大局的変動を通じて価値観が変化する」という4クール作品としての意義が生まれたからである。

思えば地球の神であるブルーが人間の女性一人を愛してしまったという事が判明した時点で、そしてミラージュを選んでしまった事によって彼が最終的に物語から退場するのは決まっていたと言える。それはもう「地球の神」ではないのだから。

兄弟間のもつれが地球を危機に陥れ元凶が去ることによって平和がもたらされるという、何というはた迷惑な事か。マッチポンプ、茶番感の甚だしいこの物語の中で個人として総体として一体何が変化したのだろうか。神々の戯れに付き合わされ振り回され、本来生まれ得なかった争いに巻き込まれ解決を迫られる。


人、これを理不尽と呼ぶ。


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通りすがり

シリーズものなので毎年賛否両論あると思いますが今年は否が多いイメージですね。

殆どのシリーズでは王道の成長物語になってるはずです。
by 通りすがり (2015-01-30 05:35) 

smith

>通りすがりさん

先日初代、MH、SS、5の映画だけを観たのですが、これらは映画を観ただけでも作品の主題や主人公達のそれぞれの関係性が描かれていて特に初代は「二人」という関係性が強調されており、TVシリーズを観たくなるような王道の盛り上がりを感じました。

他作品の感想を読んでみてもブルーのような存在は今までプリキュア側にいなかったようなので、この問題はハピチャに固有のものなのでしょうね。作り手の免罪符的行為ともとれる「作品内でのプリキュア女子会によるブルーへの糾弾」が行われたときはドン引きしてしまいましたが次回作のプリプリではもうこのようなキャラは勘弁願いたいものです。
by smith (2015-01-30 12:50) 

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