SSブログ

人間ども集まれ! [虚言/妄言]

少し前の記事で「現代社会の人間は頭だけになってしまった。」という様な事を書いたが、最近読んだ著書の中でその事について的確に言い当てていた記述があったので紹介しておきたい。

「都会という環境は、きわめて人工的である。むしろ、人工的でないものを見せてもらいたい。そう言った方が早い。植え込みやら街路樹やら、みすぼらしい「自然物」が残されているが、それも人間が適当に「考えて」配置している。要するに都会では、すべては「脳の中」になってしまっている。建物しかり、道路しかり、建物の内部しかり。そこに住む人間は、早い話が、脳の中に住む人間である。
~省略~
脳は管理できないものに、徹底的に敵意を持つ。それは、脳の無能力を如実に示してしまうからである。都会では、すべては予測可能性、管理可能性の上に成立する。したがって、そこでは自然物、予測不能物としての「生きた人間」は「痩せ細る」ほかはない。」
                              養老猛司著 『涼しい脳味噌』

情報化社会の中で人間は肉体を忘却し、頭だけになった。そして頭だけになった人間は人工的に構築された「脳の中で」生活する。悪い言い方をすれば「管理・飼育」である。

「現代社会が生んだ精神異常者による連続殺傷事件」としていつも通りに記号的な処理をされたあの秋葉原の事件。

猟奇的な事件はいつの時代にも存在するものではあるが、先の事件の犯人の背景を見てみると正に養老氏が言うように「痩せ細った」人間の末路のように思えて仕方がない。もしこれが本当に「現代社会の生んだ事件」であるのならば、これから先「都市化=脳化」が進んでいく以上こういった事件は頻発するのだろう。

これは誰に責任があるとかの問題ではないと思う。おそらくこれが現代における「業」であり「なれの果て」なのだろう。社会はこれを「不自然な物」「予測不可能な物」として拒絶、隔離するのではなく、これらと見つめ合わなければならない。多分それしかできないし、そうしなければ前には進めないだろう。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。