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「境界線上のホライゾン」 第1話の演出 [アニメ]

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漫画と小説。原作が存在するコンテンツのアニメ化においてはどちらが難度が高いのか。単純に「アニメ化する」という一点においては当然漫画原作の方が絵としてのガイドラインが明確に存在している以上アニメ化は容易である。対する小説のアニメ化というのは、原作が文字情報のみからなるという点において一見絵に書き起こす際の自由度の高さという漫画原作に対する優位性があるかのように見えるが、場合によってはそれがデメリットとなる事も当然ありうる。

例えば冲方丁原作、9月29日に公開が予定されているシリーズ最新作「マルドゥック・スクランブル 排気」。内向的で口数の少ない主人公故に原作では主人公の内省とそれ以外での心理描写が多くを占め、またシリーズ3冊中まるまる1冊を占めるほどのカジノパートがあるためアニメでは尺、予算の都合上原作通りには描けないため非常に残念な出来になってしまっている。今度公開される3作目では原作は本編開始から半分ほどまでカジノシーンがあるため前作同様仕上がりに関しては非常に不安なのだがどうなることやら。

または、心理描写のように絵にし辛いものでなくともアニメ化し辛いものもある。膨大な量である場合管理と効率的な説明が困難となる「情報」である。時代背景、政治情勢、登場人物の性格、背景、SF的戦闘描写etc、etc・・・。昔読んでいた「されど罪人は竜と踊る」「ウィザーズ・ブレイン」などは戦闘で術式(咒式)を発動させる場合において計算式が必要であるため地の文で何度も何度も計算式が展開するのだが、こういったものはアニメ化の仕様がない。そのためアニメ化してもそういったディテールを省かざるを得ず、結果として見た目としては問題なくても何をしているのか良くわからないという状態に陥ってしまうのである。これは「マルドゥック・スクランブル」も同様である。

では、境界線上のホライゾンはどうなのか。
原作は本の角で人が殺せると言われる程の厚みがあるらしいがアニメを見てみるとなるほど納得。私はまだ1話しか観ていないので憶測と推測、風の便りのみで判断するしかないのだが1話を観る限りでは確かにこれは非常に厄介な代物である。まとめサイトなどを徘徊していたら本作についての登場人物の相関図が作成されていたのだが、その膨大な量のキャラクターたるや。本作の視聴にあたっては事前情報を特に仕入れず「何やら設定がややこしい」との事だけを把握していたのだが1話を観る限りでは確かにややこしい。情報に翻弄される気持ち良さを味わいたいので、本編で提示される以外の情報は一切遮断しているため認識に誤解もあるだろうが、先ずは世界観の複雑さだろう。神州(日本)のみが居住可能な世界で並行世界と共に正史の歴史再現を行い、加えてアメリカ、ドイツ、フランスなど(多分)各国の権力者たちが入り乱れて互いに領地を奪い合う、という現時点では目的が把握できない状態なのだが、神州ではさらに人間以外にもインキュバス、スライム、インド人(?)、金属生命体、鬼(ヤクザ)などと多様な種族が互いに会話しているという有様。

そして、三年梅組集合シーンに登場する恐らくヴァチカン所属であろうロボット兵器から察するに当然今後ロボット同士の戦闘シーンもあるのだろうが、となるとロボットについての科学的な設定なども説明されていくのだろうか。いずれにせよ第1話の時点で上記の情報を説明しようとしているので当然情報量は膨大になるため、私のような原作未読で初見の人間などではとても一回の視聴では全てを把握することは出来ない。というか終盤に唐突に始まる中田譲治による世界観説明のナレーションは正に全てを語って何も語らずというか何と言うか。まあ、あそこまでゴリゴリにやられると寧ろ清々しくさえ思えるのであれはあれでアリなのだろうが。しかし分からないでもない。1期が1クール12話の予定で原作の量が膨大である事、故に全てを語ることが構造的に不可能である以上、魅せるべきシーンで魅せるのがアニメーションの本懐というもの。

そして第1話ではそれが成功している。
ではどうして成功したのか。それは描くべきことを一点に絞ったからである。複雑な世界設定でも政治情勢でもない、私のような一見さん含め物語の導入に最も必要とされるモノ。膨大とされる登場人物の顔見せという一点である。はっきり言って世界観の説明などはいつでも出来る。それよりも導入において重点が置かれるべきは「作品の方向性」である。第1話では主要メンバーである三年梅組の説明を体育の授業と称して戦闘を中心に描くことによって、キャラの名前を覚えなくともどのキャラがどういった能力を有しているかを把握できるようにしており、今後展開されていくであろう戦争展開の理解への足が掛かりとしても機能している。

また、戦闘での術式の発動に関しては戦闘パートをいくつかに分けて描き、それぞれのパートで発動における条件などが個人によって異なる事を丁寧に描いているので、全体に単なる脳筋アクションに終始しておらず試行錯誤する戦闘の面白さも描けているのはなかなか面白い。特に関心してしまったのが術式で弓矢を使用していた浅間のキャラなのだが、発動の条件として神社への奉納と舞、そして承認後の発動としての「拍手」である。今日の日本では日常的には敬意としての他に主に参拝などで行われる拍手であるが、古来または現代においても神道では儀式的な側面としての意味も有しているというのは、意識的ではないにせよ多くの人は雰囲気として認識しているはずである。本作の舞台が神州をし中心としているのは恐らく作者の趣味なのだろうが、術式の効能と引き換えに奉納を行い拍手によって発動する、という文化的な気の利いた気配りはディテールとしては素晴らしいと思う。こういう演出をされると「厨ニ病」の一言で足蹴にすることなど出来ない。ひとつ気になったのは槍を使うアデーレが術式で加速した際に発動条件が無かった様にみえたのだが、そうなるとフィジカルに依存する術式もあるという事なのだろうか。

あと、個人的にはこれだけでBD購入分の元がとれたと言っても過言ではない、後半でのマルゴットともう一人による二人組の術式発動シーンである「堕天と墜天のアンサンブル!」のシーンなのだが、とその前に本作の楽曲にも言及しておきたい。最近ではペルソナ3に端を発する所謂「おサレ」なハウス、クラブ系の音楽がアニメ、ゲーム等でよく使われるようになったが、本作では方向性こそ似てはいるが主要なシーンの多くでエレクトロニカが使用されているのである。最近のアニメは殆ど見ていないのであくまで推測になるがここまで本格的にエレクトロニカが使われたアニメは恐らく数えるほどだろうと思う。そして本作においてはそれが本当に上手く出来ている。よく出来ている。特に最高だったのが上記の二人組のシーンなのだが、ここで流れるボーカル曲が完璧ともいえるタイミングで挿入されるため盛り上がり方が半端ではない。正直アニメでこれほど興奮してしまったのは久しぶりである。勿論エレクトロニカが好きだという前提の感想なので一般的ではないだろうが。それにしても最高過ぎる。

第1話に関する感想を見てみるとその多くが「意味が分からない」というものばかりになってしまったのは宜なるかな。説明的過ぎるという意見に関してはその通りだと思うが、本作に関しては正直過剰に説明的になってしまうのは致し方の無い事だとは思う。というか第1話に関しては明らかに意図的にそうしている節が見受けられるのでそれを以ってして批判しようとは思わない。それよりも個人的に気になったのは言葉で説明する必要の無い部分までいちいち台詞で説明してしまっている、または説明的な演出をしてしまっている点である。例としては中盤のオリオトライ対男三人組のシーンなのだが、実時間では一瞬のシーンをだらだらと引き延ばしコンマ何秒の間で会話するという戦闘シーンでは一番やってはいけない最低の演出をしてしまっており、恐らくは原作準拠の会話なのだろうがテンポやリアリティ、違和感を廃してまで演出する必要が全く感じられず会話無しでも十分に成立するだろうに、こういう点は非常に残念である。

第1話単体としては正直手放しで褒められる出来ではないが作画のクオリティの高さ、楽曲の素晴らしさ、世界観含めた面白さの可能性という点ではBDの値段分としては納得の、久しぶりにクリティカルな作品ではあったと言いたい。というかオススメ。特に大量の情報に翻弄されながらリアルタイムでそれらを整理するのが好きな人には。あと、主人公は色々なイミで大丈夫なのか。
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