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果たして私は腕時計を付けて家を出る事ができるのか? [虚言/妄言]

出かける時に腕時計を左手に付ける。金属製なので結構ズッシリとくる。
そして携帯電話をポケットに入れ・・・。

ん?携帯電話があるのなら別に腕時計はいらないんじゃないのか?
ん、まあ、確かにその通りだ。携帯電話には時計の機能が内蔵されているし、何より私の待ち受け画面は開いた瞬間に一目で時間が分かるようにでかでかと時計が映っているから、基本的に時間を確認するのは携帯電話のみで腕時計を見る時は殆ど無い、というか全く無いと言っても良いだろう。

じゃあ別にわざわざそんな重い金属製の腕時計を付けなくてもいいんじゃないのか?もしかしてそれは見栄を張るために付けているのか?
ん、いや、そういうわけではないが、そうだ、携帯電話にはバッテリーがあるだろう?長時間使わない限りは大抵三日ぐらいは持つものだが、偶に家を出てから直ぐにバッテリーのメモリが一つ減るという事はあるだろう。それでその日が偶然一日中外出する日で帰るのも深夜になるような場合にこの腕時計があるというワケだ。腕時計なら電池が切れるのは数年に一回程度だからそういういざという時には役に立つというものだろう。まあ、確かに、ファッションという観点からすれば腕時計もそのカテゴリーに含まれるのでそういう観点から外出時に腕時計を付けるという指摘は言えなくもないだろう。だが、基本はあくまで時計としての本来の役割であって、決してファッションという見栄のために腕時計を付けているというワケではないという事は強調しておきたい。

それに、そもそもファッションのために腕時計を付けているとしても現代においてはそれはそれで腕時計の正しいありかただといえるのではないのか?恐らく腕時計が生まれてから数百年は経とうとしているが、時計発祥の地である国においても装飾する事を念頭において製作された腕時計も当然にあるだろうし、何より現代では腕時計がファッションの一部であるという事は常識中の常識ではないか。だから、仮に、そう仮ににだ。私がこの腕時計をファッションのために付けて外出しようとしたとしてもそれは咎められる事ではないだろう。まあ、私自身に「腕時計を時計という本来の機能を疎かにしファッションとしてのみ扱う事は恥ずべき事である」という美意識みたいなものがあるとするならば、私の行動は咎められるのだろう。

だが、私の場合は別に腕時計をファッショとしてのみ扱う事は一切許せんというような過激なものではなく、まあ今の時代ファッションとしての側面も大きいから別にそれはそれでいいんじゃないの?という立場だから別に問題は無いだろう。まあ、確かに、私の中にこの腕時計をファッションとして付けようという気持ちが多少なりとも外出する時常にあったという事は認めよう。けれど、私の立場は「それでもいいんじゃない?」であるから今回はセーフだ。そうだろう?よしOK。
ではそろそろ行くとするか。

と、ちょっと待てよ。

さっき言ったようにこの腕時計は金属製なので結構重い。実際最初の頃はその重さ故に違和感を感じてはいたがそれも直ぐには馴れたもので、それからは逆に心地よい重さといっても良いくらいではあった。だが、心地よいと言っても重い事に変わりはないはず。つまりこの腕時計を付けるという事は身体の左右のバランスが崩れるという事ではないのだろうか?左右のバランスが崩れる。それによって歩いている時も常に片方に微々たるものではあるが重心が傾いてしまうのではないのか。

としたら、この腕時計を付けて歩く事によって背骨あるいは身体全体がゆがんでしまう恐れもあるのでは?確かに腕時計の重さは身体全体に比べれば微々たるものだろう。しかし蟻の穴から堤も崩れるというように、ほんの些細なキッカケが最終的にはとんでもない結果を引き起こすという事は十分に考えられるはずである。それに腕時計は手首に付けるものだ。人間は歩行する場合に腕を振る。つまりそこには遠心力が生まれるのである。その遠心力に腕時計の重さが加わったらどうなるか。その場合、左右の腕、もっと言えば肩にかかる負担は当然違ってくるはずである。

それに遠心力は外側に働くので腕時計を付ける事によって遠心力が強まり骨が伸びてしまう可能性も考えられるのではないのか。腕の長さが左右非対称になる。これは大変だ。そうなった場合日常生活にも当然影響が出てくるはずである。

ん?いや待てよ。

日常的に腕時計を付けて外出してその影響で腕が伸びるのならば、それは日常的に伸びる腕を使って毎日生活しているという事だから、その時点で不自由がないのであれば多少左右の腕の長さが変わったとしても問題は無いと言えるのではないのだろうか。それにもし伸びてしまったとしても今度は反対側に付けて生活すればいいのだから、その点でも問題はないと言えるのではないのか。うん、そうだ。問題は無いだろう。
ああ、良かった。これで安心して外出できる。
そうと決まればあとは部屋の扉を開け・・・。

おおっと、ちょっと待った。

扉を空けようとして気が付いたんだけど、私が付けている腕時計は金属製なので革のバンドのようにある程度自由に調節して手首の幅に合わせるという事が出来ない。一応調整は出来るが、金属製の場合はバンド部分が個々のパーツに分かれているだけなので、パーツ一つで窮屈になるか指一本分の幅が空いてしまうかという事があり手首にフィットするという事はなかなか難しいものとなっている。そのため今現在私が付けているこの腕時計もバンド部分に人差し指が入る程度の幅が空いているので、何かしようとする時にずれてしまう事が多々ある。

そこで考えられるのだが、私の腕時計は金属製という事もあり、腕時計が手首と腕との間を15cmの距離を往復する間に多少なりとも腕時計が皮膚を削り取っているという事だ。そのため、人間の皮膚には微細な汗腺があり、微量ではあるが皮脂が存在する事によって肌というものはコーティングされ外気から守られているのであるから(おぼろげ)、その皮膚を腕時計が削っているという事は腕時計には多少なりとも、いや確実に皮膚が、皮脂が付着しているという事ではないのか。

これは由々しき事態である。
汗腺から分泌される分泌液。俗称は汗だが、これはその成分は金属を酸化させる作用があるのである。眼鏡を掛けている人は分かるだろうが、表面にメッキで加工されて色づけされている眼鏡を二年程使用していると徐々にフレームの色が落ちていき剥げていくのである。これは主に皮脂の多い髪の毛が頻繁に触れているという事からくるものなのだが、これは当然腕時計にも言える事である。特に夏場がそれだろう。というか夏場はたまったものではない。冷房が効いている室内、店内ならともかく外で直に日光を受けていると腕時計のバンドの部分はたちまちサウナ状態になるので、装着している手首はもう汗で大変極まりない。まあこれは私が一般的なそれよりも手の汗の分泌量が多少多いという可能性も考えらるが、それにしても夏場のバンド部分の汗が普段のそれよりも大変なモノであるという事については同意は得られると思う。

おっと、話がそれた。

そう、だから夏場でさえそうなのに一年通して腕時計を付けるというのは進んで腕時計を汚そうとしている、劣化させようとしているに等しい行為なのではないかと言いたいのである。それに汗以外にも、微量ではあるが皮膚が削られるので、その削られた皮膚は徐々にバンド部分に溜まっていくだろう。塵も積もれば山だ。そしてそれは黒ずみの原因となるのである。掃除した事のある人は分かるだろうが、黒ずみというのは傍目には分からないモノで掃除してやっとその汚れが認識出来るのである。日々の微細な変化というのは感知できないからこれほど恐ろしいものはない。

皮膚と皮脂。バンドが皮や繊維質の人はともかく、金属製の腕時計を付けている人はそれだけで腕時計を苛烈な環境に置き、日々その身を削らせているのである。これこそ由々しき事態とせずして何とするか。

あれ?でも待てよ。

そもそも腕時計に限らず全てのモノは経年劣化の運命にあるというもの。形有る物いつかは崩れる。それに壊れたら修理すれば良いもので、逆に絶対に壊れないというものそれはそれで面白味がないし、大切にしようという気持ちも起こらないような気がする。まあ、壊れてこそ本望というような事は言わないが、それを前提に大切に扱っていくのが本来の正しいありかたとも言えるのだろう。それにさっきの考えに納得していたら私は腕時計を付けないという結論になってたのではないのか。

おおう、何という事だ。何故こんな簡単な事に気が付かなかったのか。
あやうく自分の首を絞めるところだったではないか。しかしもうこれで思い残す事は無い。いや、思い悩む事も無い。兎も角私は無事これからも腕時計を付けていられるというワケだ。安心安心。
ああ、やっと外出できる。ガチャ。
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